本書は、小泉元首相の靖国参拝と、「富田メモ」の衝撃が世を騒がせた2006年夏に毎日新聞にて連載された企画を基にして書き起こされたものである。第一部にて1978年に「A級戦犯を合祀した宮司」、松平永芳氏を、第二部にて戦後32年間に渡って「A級戦犯を合祀しなかった宮司」、筑波藤磨氏を追っていく。本書が描き出すものは、靖国神社が戦後平和主義に順応しようとした筑波時代と、そこに「憂国の念」を抱く社会的勢力が松平宮司を擁立、靖国を「改革」していくプロセスである。靖国を論じる文献は数多くあるものの、二人の宮司に着目して靖国の戦後史に迫るものは管見するところなかったように思う。ユニークな視点と丹念な取材。その甲斐あって本書は非常に面白く、興味深い一冊となっている。毎日新聞社の仕事に拍手を送りたい。
宮司選出の経過、政党間での取引の具とされた靖国 神社法案の顛末や千鳥ケ淵戦没者墓苑をめぐる遺族会 と援護会の対立など、およそ神社にまつわるものとは思 えぬ生臭い記述がてんこ盛りで、頭がクラクラしました。 それらさまざまな思惑が交錯する中でも、それぞれがそ れぞれの立場で、象徴天皇制に合わせて生き残りに努 めてきた靖国神社に、自らの信念に従いA級戦犯を合祀 した松平宮司の自閉した行動は、それの私物化に他な らないというのが本書のおよその論旨でしょうか。 本書のお手柄は、独自の調査・取材でA級戦犯の合祀 について、国からの執拗な依頼があったこと、それでも それがしばらく放置されてきたこと、またGHQとの折衝 では、廟宮と改称する構想があったことなどを明らかにし、 靖国神社が、戦災死者を含むはば広い戦死者の慰霊施 設に衣替えする道があったことを示唆していることです。 その意味では、副題の「A級戦犯を合祀した男」より、書 名の「靖国神社秘史」にアクセントを置いて読むのが、本 書の正しい読み方なのだと思いました。 少し付け加えると、わたし達の祖霊観が素朴な氏神信 仰に宿るというのは、柳田国男のいうとおりなのでしょう (『先祖の話』、「魂のゆくえ」)。だとしたら、英霊一般を 祀るという考え方自体がそこから乖離した一種の擬制と いえます。もっと気になるのは、非業の死を遂げた者は、 当該家の慰霊の対象にならぬという仮説(田中丸勝彦 『さまよえる英霊たち』)です。これが事実なら、多くの非 業の死者を祀る靖国神社は、わたし達の伝統的な信仰 心を自己疎外して、対立するものにまで転化してしまい ます。 もうこれ以上は、やめます。わたしは少なくとも、遺族が 靖国神社の祭神とすることを希望しない者の合祀は、行 わないとするほうがよいと思うのですが、いかがなもので しょうか。
靖国問題に関しては何かしら腑に落ちないものを感じてきたのだが、この本を読んで漸くその深みを理解することができた。A級戦犯の合祀は、極めて巧妙かつ計画的な政治的策動だったのである。従って、政治的見解を同じくする者は拍手喝采だろうし、政治的見解を異にする者には「日本社会への許し難い背任行為」であると言えよう。 国会決議を密かに特定の政治目的のために流用し、日本国民を合祀の「共犯」に仕立てたその手法は実に驚嘆すべきもので、日本国民は「A級戦犯はいかなる面から見ても追求すべき責任のない無実の人間である」と一度も表明したことがないにも関わらず、A級戦犯の合祀の一端の責任を負わされかねない形になったのである。多くの国民が分祀の拒否を一種の「開き直り」ではないかと感じたのも道理であろう。 先程の政治的見解の対立について、日本社会の多数派は現況では後者が優勢だろうかと評者は独断と偏見で推測しているが、予断を許さない情勢である。ひとりの宮司の働きによって巨大な亀裂が社会に与えられ、それを埋めることは難しい。 近代日本史を概観する限り、日本社会が右傾化すると非妥協的な勢力が台頭し、重大な危機が生じている。幕末の攘夷、明治期の紀尾井坂の変、昭和期の血盟団など数々のテロ事件、すべて同様である。大衆社会の常として分かり易い愛国主義は無視できないが、自らを傷つける諸刃の剣でもある。歴史に学んで冷静沈着な対処が必要である。 そうした意味で、毎日新聞の功績は高く評価したい。皮肉の利いた突き放した筆致の方が良かっただろうとは思うが。 政治的に意見を異にする側も、正々堂々と論じ、より多くの人々を説得する態度を望みたい。 真に正しい意見なら歴史がその正しさを証明するものであり、相手を罵倒することなど不要である。
毎日新聞は経営は滅茶苦茶だが新聞記者らしい個性派が多く、手間ひまかけた長期連載は充実したものが少なくない。本書もそんな連載企画をもとに加筆、増補したものだ。 靖国とA級先般合祀を巡る二人のキーマン宮司に焦点を当て、綿密な取材を重ねて合祀の経過を明らかにした点は高く評価できる。相当に取材に時間をかけていることがわかる。戦後の一時期、「リベラルな靖国」の時代があったことも初めて知った。 数人の取材班が書き起こした草稿をキャップが統括して仕上げたというだけあり、記述には統一感があり、緊張感が漂う文体と運びもなかなかよい。 惜しむらくは、社論への配慮だろうが、合祀への反対姿勢が行間からにじみ出てしまっている。ここはあえて価値判断を突き放し、あくまで冷徹で醒めた「歴史の証人」に徹してほしかった。そこだけがちょっと減点。
A級戦犯合祀した松平永芳宮司は知られているが、その前に30年以上も宮司を務めた筑波藤麿について詳述したのは本書が初めてではないか。 戦後民主主義に沿った生き方に転向した昭和天皇の意向を知って、神社運営をしていたのが元皇族の筑波だった。 本書によると、松平はそれを覆す思想的な意図を込めてA級戦犯合祀をしたようです。 それは一方的に斬罪されることではなく、戦後憲法否定の保守論客にとっては、拍手喝采の行為でもあり、賛否両論あるのでは。 賛否の判断は各人に委ねるにせよ、松平宮司によって靖国が賛否両論の論争の場になったことは確かだと思います。 松平宮司選出にうごめいた面々の暗躍も興味深く、松平が宮司にならなかったらという歴史のIFも考えさせられた。